面をつけていますから視界は狭く、限られています。その中で「跳んだり、回転したり」と非常にダイナミックな動きです。しかも「相舞」もあるなど演ずる者にとってもレベルの高い曲目であるとともに、見ているものにとっても「躍動感」を感じさせる曲です。
獅子が登場する前の細かい見所として、霧の中からぼんやり見える橋の向こうに立っている後シテ(獅子)を表現する為に「半幕」と言って幕を腰の位置辺りまでしか上げないと言う表現方法があります。

「半幕」がおろされますと、今度は「露ノ拍子」という、長い沈黙(無音の空間です)の中、太鼓と小鼓だけの演奏する不思議な音楽となります。これは深山幽谷に「露」がおちるかすかな響きの描写でしょう。
その後、一転して、勇壮な音楽に導かれて、後シテ・獅子が現れます。橋掛かりで一回止まってから、舞台に入り、「狂ヒ」と呼ばれる中心部分となります。文字通り、牡丹の花に戯れ狂うダイナミックな動きで、他の能には用いられない特殊な型の連続です。

《雑感》

『石橋』

登場人物  <シテ> 前―童子  後―獅子    
          <ワキ> 前―寂昭法師

《主な場面》

《主なあらすじ》

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【前場】
物語の舞台は、清涼山(しょうりょうせん)という深山で、そこに石橋(しゃっきょう)と呼ばれる不思議な橋がかかって います。人間が作ったのものではなく、自然に出現した橋で、その幅わずかに一尺(三〇センチ)以下という。
清涼山にやって来たワキの寂照法師(じゃくじょうほっし)の前に童子が現れ、法師が石橋を渡ろうとすると、童子は・・・ この橋を渡るのがいかに恐ろしく困難であるかを物語り、止めます。それを地謡が「うわの空なる石の橋」と謡い出します。

ここで待つようにと告げるとともに、石橋の向かい側は文殊菩薩の浄土なので、よく拝むように法師に教えて姿を消す。 (この童子は木こりの少年の姿で、「慈童(じどう)」という面を着けています。)
そこへ老人(仙人)がやってきて、石橋のいわれについて語り、この橋を今までにも、修行の完成を証明するため高僧たちが渡ろうと試みたのですが、恐ろしくて渡れた人はいないのです。・・・・・と。そして・・・文殊菩薩に仕える霊獣たる「獅子」が出現する事も予告して消えてしまいます。

【後場】
文殊菩薩の使者である獅子が現れ、咲き乱れた牡丹の花と戯れて舞台の上で前廻りをしたり、一畳台の上で飛び上がっ360度縦に廻ってみせたり、勇壮な舞いを見せ、泰平の御代のめでたさを舞い 収めると、獅子の座に帰ります。
獅子の動きは大変激しいものです。面を付けて視界が狭くなっているはずなのに、よくあれだけできるものです。
今回は後場のみの「半能」という形です。白頭を着けた親獅子と赤頭の子獅子といった設定で、白はどっしりと、赤は敏捷に舞うことで、対照の妙がたのしめます。
舞だけでなく、お囃子によっても勢いの良さ、勇壮、かつ豪華を表現している。ただ暴れまわるだけではありません。舞台の上には紅白の牡丹の花が付いた一畳台が3つ(流儀によっては 2つ)並べられ、この台にかけてある布(「台かけ」と言う)の色は、たいてい朱色の派手なものが使われていますが、大変華やかになります。
▽見どころ
獅子は文殊菩薩の霊獣。
牡丹にたわむれる獅子。
鑑賞ポイント解説
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能曲目解説